2018年7月15日 に開催された哲学カフェ

日時:7月15日 13:00~15:30
会場:神保町FOLIO
テーマ:「哲学は役に立つのか?」

形式:グループワーク
前半は、任意のグループで自分の哲学観について語る。それを踏まえた上で、自分にとっての哲学定義について「哲学とは○○である」という形式で各自紙に記入する。
後半は、その紙をもとにグループを編成しなおし、自分の哲学観の詳細を紹介しつつ、再度議論を行う。
最後に、グループごとに議論の中で出た意見等をまとめて代表者が発表する。

内容
1.「哲学とは○○である」
参加者が書き出した定義の一部は以下の通り。
 「哲学は自分そのもの」
 「哲学は思考」
 「哲学は判断基準」
 「哲学とは、考え抜いた先に最後に行きつく答え」

その後、「各人にとっての哲学とは何か」と「哲学は役に立つのか」の2軸で議論を行った。

2.「哲学とは何か」
「哲学とは何か」について、思考(考えること)・思考を踏まえての実践・自分自身の価値や有する判断基準と考える方が多かった。
 従来の哲学観は思想(考えること)に重点が置かれることが多いように思われるが、意外にも現在はそこにとどまることなく、思想(考えること)を発展させて実践までを含めて哲学であると考える人や、考えたこと=自分の価値・基準と考える、実践・行動といったように「具体性」や「自身」に結び付けて哲学をとらえる人が多いようだ。
 また、「哲学」を自身の持つ価値観ととらえると、哲学は不変のものとも考えられる。例えば、「私は○○のために生涯をささげる」といった価値観などがあげられるだろう。これは一生貫き通すべき、変わらない価値観のように見える。
 なかには、自身が追い込まれた時に、絶対だと思ってた自身の哲学が揺らいだという経験をもつ方も。この方の体験談をきっかけに、「哲学は、様々な体験などを通じて様々な材料を吸収していくことでブラッシュアップさせ続ける営みなので、変わり続けるものではないか」「窮地に立たされた時に、自分の本当の哲学が垣間見えるのでは」といった意見が出された。
「哲学に答えはない」との考えは有名だが、そのなかにも「哲学は考えることである」「哲学を自身の価値観とすると、その価値観は普遍のものである」といったイメージがある。しかし、それも絶対ではなく、哲学観は個人や時代によって変化するし、一般的なイメージですら絶対ではない。哲学は相対的かつ柔軟なものであり、いかようにも形を変化さえうる。その背景には、個人の思想や時代背景、その時代の価値観等が大きくかかわってくるのだろう。

3.「哲学は役に立つか?」
 この議論では、役に立つと答えた人が圧倒的に多かった。「哲学とは何か」の定義にもよるが、主に自身の判断基準になりうることが主な理由だった。
 しかし、中には「役に立たない」と考える人もいた。
 例えば、哲学を企業経営に当てはめると「経営理念」に当たる。企業の文化・価値基準とも言い換えられる。これらも大切であるが、企業の目的は利潤追求であり必要なのは戦略である。企業が窮地に陥った際、必要となるのは哲学(価値基準)・文化ではなく、戦略である。一般的な企業は、企業理念(事業を通して実現したいもの、その会社で大事にすべきもの等)を掲げて、それに合わせて戦略を練る。しかし、現実的に企業理念は直接に利益を生まない。利益が出てこそ、実現できるものである。つまり、現実は戦略を練って、その先に哲学(企業理念)が来るものである。故に、哲学は実際には役に立つものではないと考えられている。
 先にも述べたように、哲学を「思考に基づいた実践」「自身の価値」と考える方が多く、そのような方は具体的に何か選択を迫られた際や行動するときの物差しとして哲学を用いることで役立てると考える。逆に、哲学を目的に据えても、それ自体は何も生まないので役に立たないと考える方もいる。
 このように、意見が分かれるのも哲学が決まった答え、形を持たないあいまいな性質を有するからだと思われる。
 今回のカフェの議論を通し、哲学の奥深さを再認識した。哲学に決まった答えがないことは変わらない。
 各人のもつ個人の価値観・時代背景等によって、哲学の内容や利用の仕方、定義等が変わる。どのように考えてもよいし、用いてもいい。いわば「自由」なものである。哲学を役立てる手段の1つの提案として、議論の中で一部出たように、自身の価値観=哲学と考え、仕事・プライベート、人との出会い等日常の営みを通して、それを磨き続け又は改め続けていくと良いかもしれない。