2020年3月15日に哲学カフェを開催します

次回のカフェの詳細が決まりましたので、お知らせします。次回のテーマは「あなたはなぜ哲学カフェにくるのか?」です。参加者によるテーブルトークが中心になります。ふるってご参加ください。

1.日時
令和2年3月15日(日曜日) 13時〜15時30分
2.場所
千代田区神田神保町1-3 冨山房ビルB1  
「サロンド冨山房Folio」 電話 03-3291-5153
3.参加費用
大人1,000円 /学生500円(ドリンク付き)
4.テーマ
「あなたはなぜ哲学カフェにくるのか?」     
5.事前予約
電話/03-3291-5153 電子メール/folio@fuzambo-intl.com

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2019年11月24日に開催された哲学カフェの記録

開催日時:令和元年11月24日(日)13:00~15:30
場所:サロンド冨山房Folio
テーマ:「年齢の価値とは? 若いほうがいいの?年を重ねるほうがいいの?」
形式:グループディスカッション

今回は、「年齢を重ねる、年をとる」について、ディスカッションを行いました。

当日は3つのグループに分かれ、各グループで年齢や年の取り方に関するテーマを決め、議論しました。

私の所属したテーブルでは広範囲に話が展開しましたので、それぞれの話題と意見の一部をご紹介します。

あなたにとって年をとる、年齢の価値とは

  • 経験値を得ること。
  • 年齢の価値は、自分の考え方による。価値があると思えば価値がある。また、時代は変化している。過去にどのようなものを積み重ねてきても、その変化に対応できなければ価値があるとは言えない。
  • 論語に「四十にして惑わず」という言葉がある。年をある程度重ねると成熟するように思うが、そのとおりではないと思う。何歳になっても惑うものであり、年を取ったからと言ってそれだけで成熟するわけではない。

今まで生きてきた中でどの年代が一番良かったか、また過去をやり直したいと思うか

  • 30〜40代の頃が一番良かった。当時は、変化の激しい社会で、ある分野の先駆け的な取り組みをしていた。前例はなかったが、だれもやったことのない新しいことに夢中で取り組むのは楽しかった。でも、年齢は関係ないと思う。いつになっても自分のやりたいことが目の前にあり、年齢に関係なく取り組むことができることであれば、積極的に行いたいと考えている。
  • 挑戦するには体力が要るので、若いほうがいい。しかし経験値は年をとって重ねていくもの。そういった意味では、年を重ねたほうがいい。上手に年を重ねていきたいと思う。
  • この話題について、考えることに意味はない。重要なのは現在であり、過去はやり直せないし、未来のことはわからない。現在に集中することに意味はある
  • 若いほうがいい。特に20代前半がベストである。若いうちがチャンスが多いし、失敗してもやり直せるから。正直、年を重ねるのが怖い。

どのような年の取り方がベストか

  • ジョブローテーション的に仕事を行ってきたが、経験のない仕事に従事することもあった。まったく自分の経験ない仕事に就くと、今までの積み重ねが生かせないので困ることがある。このことから、年を重ね、得た経験をもとに思考・行動ができるようになっていけるとよいと思う。
  • 年齢に関係なく、挑戦や経験値を得ることを大切にしていた。目の前の目まぐるしい変化に対応しつづけ、過去の経験等に関係なくどん欲に挑戦していくことに真の価値がある。体力の問題はあるだろうが、上記に年齢は関係ない。
  • 現在は、過去に挑戦してきたことの集積。過ごし方によって「時間を無駄にした」という感じる人もいるが、過去や未来に対し、今の自分が何かをできるわけでない。なので、今を充実させることが大事であり、過去が参考になることはあるが、何もできないことに対し考えることは意味がない。

私感

私は、過去を無駄にしたと後悔することが多かった。また、私が女性であるため、年を重ねる=価値を失うという考えがあった。しかし今回、参加者の話を伺って、ベストな年の取り方を考えて未知の未来について計画し、過去を振り返り後悔するより、自分の掌握範囲である現在に以下に集中し、ベストを尽くしていくことが重要であると感じた。参加者の一人は、「過去について考えることに意味はない」とおっしゃっていた。確かに過去の後悔に意味はないが、自己または他者の過去を参考にして現在に生かすことで、現在の行動をよりよくすることはできる。その意味で、過去にも意味や意義を持たせられると考えた。
   
別のテーブルでは、以下のようなテーマが出ていました。

  • なぜ、人に年齢を聞くのか
  • 年齢カーストについて
  • よい年の取り方とは、悪い年の取り方とは

 

2019年11月24日に哲学カフェを開催します

次回のカフェの詳細が決まりましたので、お知らせします。次回のテーマは「年齢の価値とは 〜若い方がいい?年を重ねる方がいいの?〜」です。参加者によるテーブルトークが中心になります。ふるってご参加ください。

1.日時
令和元年11月24日(日曜日) 13時〜15時30分
2.場所
千代田区神田神保町1-3 冨山房ビルB1  
「サロンド冨山房Folio」 電話 03-3291-5153
3.参加費用
大人1,000円 /学生500円(ドリンク付き)
4.テーマ
「年齢の価値とは 若い方がいい? 年を重ねる方がいいの?」     
5.事前予約
電話/03-3291-5153 電子メール/folio@fuzambo-intl.com

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2019年9月29日に開催された哲学カフェの記録

開催日時:令和元年9月29日(日)13:00~15:30
場所:サロンド冨山房Folio
テーマ:「家族は敵、味方?それとも...家族の絆について考える」
形式:グループディスカッション

今回は、「家族」についてディスカッションを行いました。このテーマは、とても大きなテーマではありますが、今回は「家族とは何か」「家族は敵か味方か」を柱とし、話し合いました。

●家族とは
まず家族の定義について考えました。各自が考えた定義は以下の通り。

・血縁関係
・名義(苗字)を共有している人
・「さようなら」を言わない人
・世帯主とその家族
・何かあった場合、何に代えても絶対に助ける対象
・いてよかったと思える存在

●家族は敵か味方か
次に、家族は敵か味方か、という問いについて考えてみました。

・味方
・対外的(家の外)に向かっていく場合は味方
・敵ではないが、絶対的に頼れる存在ではない
・敵ではないが、味方でもない。自分が抱えていかなければならない対象

参加者の中で、家族を「敵」という人はいませんでした。味方であることは誰もが同じようです。ただ、いかなる状況下においても絶対的に味方といえる存在ではないようです。外の敵に立ち向かうときは、家族が団結して戦うので、そのとき限定で味方であったり、自分が家族を「守る」存在であるひとは、家族は頼れる味方であるというより、守らなければならない存在であるようです。

また、「家族」の定義について、一般的にいう「血縁」「共同生活をする人の単位」と考える人と、「一緒にいたい人、守りたい人が家族である」という気持ちのつながりを重視して家族を考える人の2パターンに分かれました。しかし、単純にこの2つにあてはめられないパターンもあるようです。

・「血縁上の母以外に、自分のことを思ってくれている方を「もう一人の母」として慕っている」といった、「血縁を超えた、気持ちで強くつながっている家族」
・別の場所で暮らす、殆ど会うことのない親子において、その親を親と思っていない子供と、別れていても子は自分の家族であると思っている親

このように、血縁に囚われることなく、強い気持ちのつながりで家族となることもあれば、例え立場によって、例え血縁上の相手でも家族でない(とは認めない)という例もあるようです。

「家族」は一般的に、血縁上の関係や一緒に生活をしている単位という側面が重視されますが、実情はむしろ、強い絆や気持ちでつながる相手が家族であるといえるのかもしれません。
血縁であっても気持ちのつながりが薄い場合は家族足りえないし、逆に血縁でなくても、互いに思いあい、強い気持ちでつながっていれば家族といえるようです。

また、「家族」を考えるうえで、もう一つ重要な視点として「家族の形の移り変わり」があげられました。すなわち、昔と今では家族の形が変わってきているということです。

例)
・集団重視→個重視
・親は子供の上に立っている→親は子供と同じ目線
・家族は助け合うもの→家族のつながりが時に「めんどくさい」ものである

このように、家族の形は複数世代が1つ屋根の下で生活を共にし生活するような形から、核家族化し、個人の権利が重視される形へと変化しました。

それに伴い、親も逆らうことのできない上の存在から、子供と同じ目線で何でも相談できるような相手になりました。
家族の変化には景気、社会情勢等様々な要因があるが、家族の形が変化していくことが良いことか否かは賛否が分かれました。

しかし、その中でも皆で一致した考えが「相手を思いやるのが大切」ということです。

つまり、家族がどんな形であっても「他人の関係との1側面」であるということには変わりなく、他者とのかかわりである以上、相手への思いやりが大切であるということです。

そして、「理想の家族」の形として
・複数世代が同居し、子供を多面的に育てることのできる家族
・金銭的に貧しくても、相手を互いに思いやることのできる家族
という意見が上がりました。

いずれも、想定する家族の形態は異なりますが、「生活をともにする相手を思いやる、気遣う」という点では同じです。

「家族」とは血縁であることがいまや絶対的条件でなく、むしろ互いに思いやり、気持ちの上で強くつながっていることが同じくらい重要なようです。

これから、さらに家族のかたちが激しく変化し、「家族」という単位すら無くなっていってしまうこともあるかもしれません。

その変化の中で「どの家族の形」がいいか、悪いかということより、時代に合わせてその時にあったつながりや関係の形を構築していくことが大切ではないでしょうか。

2019年9月29日に哲学カフェを開催します

次回のカフェの詳細が決まりましたので、お知らせします。次回のテーマは「家族は敵? 味方?それとも...... 家族の絆について考える」です。参加者によるテーブルトークが中心になります。ふるってご参加ください。

1.日時
令和元年9月29日(日曜日) 13時〜15時30分
2.場所
千代田区神田神保町1-3 冨山房ビルB1  
「サロンド冨山房Folio」 電話 03-3291-5153
3.参加費用
大人1,000円 /学生500円(ドリンク付き)
4.テーマ
「家族は敵? 味方?それとも...... 」     
5.事前予約
電話/03-3291-5153 電子メール/folio@fuzambo-intl.com

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2019年6月30日に開催された哲学カフェの記録

開催日時:令和元年年6月30日(日)13時~15時30分
場所:神保町: サロンド冨山房Folio
テーマ:怒りの正体「あなたはなぜ、怒るのか」
形式:参加者同士のディスカッション

 

怒りの正体とは?

  • 「期待の裏切り」(例)「守るべきルールを守っていない」「自分がやっている(できている)のに、相手はやらない(できない)」
  • 「自分の価値が否定されたと感じるときに感じるもの」(例)自分の存在を否定された・貶された
  • 「自分が不利益を被るときに感じるもの」
  • 「悲しみの累積の結果」(例)相手への悲しみが積もり積もって、いつのまにか怒りに変化している。親子間殺人等
  • 「自身の投影」(例)相手の忘れ物癖に対し怒っている場合、その怒りの正体は、自分自身の忘れ物癖に対する怒りである。つまり、相手への怒りは、自身に対する怒りをもあらわす

怒りに対処する方法

怒りには「人間的な怒り」と「動物的な怒り」の2種類があり、後者の怒りは「本能」から発生するものでは、という意見もあった。その怒りに対する対処法として、以下のような意見が出た。

  • 最初から期待しない(あきらめる/自分にはどうしようもできないと思う)
  • 相手に、自分より優先すべき事情があったと考えるようにする(例えば、相手が待ち合わせに遅れて怒りを感じた時、「急病の老人を助けたので止む無く遅れた」、と考えるなど)
  • 「なぜ」と問いを繰り返し、怒りの原因を探り、対処する
  • 考えないようにする
  • 怒りの元から、自分の気持ちをずらす(例えば、相手に嫌なことをされたとき、甘いものを食べて気持ちを落ち着かせるなど)

怒りに対処するには余裕が必要?

「自分に余裕がなければ、怒りに対処することができない」という意見があった。

例えば、手取り10万でぎりぎりの生活をしているとき、あらゆるものに余裕がなく、怒ってしまいやすい。また、許すことが困難だ。しかし、宝くじで5億当たったとき、たいていのことは許せてしまうだろう。なぜなら、5億をもっていることで生活や気持ちに余裕ができるからだ。つまり、怒りへ対処するために、ただ相手を許すだけでなく、まずは自分が満たされていること(=幸せ・安定していること)が重要なのではないか。

怒りは悪いもの?

私たちは怒りを悪いものと捉えがちだが、一概にそうとも言えないのでは、という意見もあった。

怒るにはエネルギーが必要である。行動が伴うなら猶更である。例えば、ポイ捨てをする人がいる。大抵のひとがその人に対し怒りを覚えるだろうが、「かかわらないことが一番」とあきらめてしまう人もいる。怒りを覚えると、そのことについて、思考をしたり、何かを感じたりするので疲れる。注意をしようとすると、勇気・決断を伴うため、さらにエネルギーを必要とする。つまり、それだけのエネルギーを必要とする怒りとは若々しさ証拠であるともいえるのだ。若い人の鋭く繊細な感性は、あらゆることに対し違和感を覚える。それもまた、怒りを感じる元となっているのかもしれない。

怒りは愛である

怒りは「愛」である、という意見もあった。

相手を害してやろうと考え、感情に任せ怒る人もいるだろう。しかし、一方で真に相手のことを考え、注意する人もいる。それは、相手との間に信頼関係があり、相手にもっと良くなってほしいからだと願いゆえである。例えば、会社で遅刻した新人に対し、強く「遅れるな!」としかる場合、それは新人をいじめたいからでなく、遅刻は仕事相手や同僚、お客様との信頼を大きく壊す行為であり、本番(取引現場等)で同じことをして失敗等するのを防止したいといった気持からであろう。

まとめ

このように、「怒り」には様々な意味がある。

今回は、怒りは「期待の裏切り」から出てくる感情であり、最初から期待しない・諦めることで怒りを回避するといった意見を持つ人も何人かいたが、悪いことばかりでないことも分かった。

怒りを回避することも大切だが、感じた怒りをもとに何か行動を起こしたりすると、何かが変わるかもしれない可能性がある。

エネルギーが必要だが、時には諦めないで、感じた怒りに対し、向き合ってみるのもいいかもしれない。