第一回哲学カフェの資料を公開

第一回哲学カフェのゲスト講師である吉田先生から、事前にレジュメをお預かりしました。こちらで内容を公開しますので、参加ご希望の方はぜひ事前にご覧いただければと思います。

 哲学カフェ2014「死刑制度、賛成?反対?」

  • 2011年、死刑を執行したのは198ヵ国中わずか20ヵ国で、10年前と比べ3分の1以上減少した。しかし、少数派であれ「死刑制度のある日本」に住んでいる以上、死刑から目を背けるのではなく、もっと死刑と向き合うべきである。
  • 死刑「制度」の利点や欠点をいくら挙げても、死刑「思想」を論じたことにはならない。なぜ死刑が生まれたのか、これによって人類は何を得、何を失ったのか、死刑を支える「思想」とは何かについて考える。
  • 西欧は自ら「人権を尊重する社会」を作ろうと立法したという背景から、死刑は「野蛮」という言葉が出る。“汝、殺すなかれ”の戒めはキリスト教徒の心情として、犯人の更生の道を断ち切ることに対する抵抗感がある。
  • 神道や仏教では、自然の流れのままに生きることを意識し、人が恣意的に自然を曲げることを傲慢と考える。特に、他殺や自殺は自然の流れを変えることであり、大きな特別なパワーを必要とする作為だと考える。仏教の“不殺生戒”
  • 加藤周一(1919-2008)『小さな花』「誰でもどんな環境の中でも、美しい時間を持ち得るし、その人にとってのひとつの小さな花の価値は、地上のどんなものと比較しても測り知ることができない。したがって人々がそういう時間を持つ可能性を破壊すること、殊にそれを物理的に破壊すること、たとえば死刑や戦争に、私は賛成しないのである。」
  • 日本国民の約80%が死刑制度に賛成。日本の歴史から、“切腹”、自己の罪に対しては死を以って詫びるという人生の処し方。

【日本の歴史から】

  • 平安時代に360年間も日本では死刑が廃止されていた。
  • 平安末期には武士が台頭し、保元の乱(1156年)の戦後処理として死刑が復活した。
  • 江戸時代は刑法が整備され、武士は切腹が主で、庶民は磔、火罪、斬首とした。また、仇討が法制化された。
  • 1870年明治3年)に暫定刑法である新律綱領を定め、死刑を「斬」と「絞」の2種類に限定。1880年(明治13年)にはフランス刑法典を基本に「絞」のみに限定された。
  • 1873年明治6年)仇討禁止令を発令した。
  • 1946年昭和21年)に公布された日本国憲法でも死刑は合憲であるとした。

【忠臣蔵】1703年

  • 封建社会では、主君への忠誠は絶対的なものだった。組織のメンバーは自分を犠牲にして主君を守る、死んで恩義に報いる、不幸にしてそれがかなえられなかった場合は、仇討で主君の恨みを晴らす、それは最大の美徳だった。
  • 赤穂四十七士を死罪・切腹・助命かで幕府は苦慮した。
  • 室鳩巣(1658-1734)は、赤穂浪士の主君に対する忠誠を強調し、『赤穂義人録』を書き、彼らを義人・義士として、彼らの行為を義挙として賛美し、助命を主張した。
  • 荻生徂徠(1666-1728)「世間は同情しているが、浅野は殿中抜刀の犯罪で死罪なのに、吉良を仇と言うのはおかしい。幕府の旗本屋敷に乗り込み多数を殺害する騒動には死罪が当然」
  • 封建社会の価値観、排除と仇討の論理が今でもまかり通り、「死刑制度」は、「仇討禁止」や「決闘禁止」に代わるもの。

  忠臣蔵 ← 儒教精神(忠義)⇒ 被害者の心理 ⇒ 仇討 ⇒ 死刑賛成

【武士道】

  • 新渡戸稲造(1862-1933)が『武士道』を著した動機は、ベルギーの学者から「日本には宗教がないのに、道徳教育はどうやって授けられるのか」という疑問を受けたことによる。
  • 切腹が野蛮な振る舞いではなく、法律上、礼法上の一つの制度であるとし、それは洗練された自殺であり、それに強い精神力を要する、武士の身分にふさわしいものであると解説した。『武士道』
  • 「私の魂の宿るところを開いて、あなたにその様子を見せよう。それが汚れているか清いかは、あなた自身で判断せよ」『武士道』
  • 処罰としての切腹というのは、鎌倉時代以後に出てきたもので、武士層特有な現象であった。したがって切腹による責任の取り方は、名誉ある死と言える。武士道という視点から見直すと、決して単なる野蛮な行為とは言えないことを立証しようとした。
  • 江戸時代、主君の命令に従えない武士には簡単に死刑を命じた。死刑として悪評判が立たないで、見せしめとなるように、「農民たちは自分で切ることができないから切ってやっている。武士は自分で切ることができる」ということで切腹を美化した。
  • 山本常朝(1659-1719)『葉隠』「武士道とは死ぬことと見つけたり」
  • 吉田松陰(1830-1859)「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし」(死刑の年に、江戸の獄中から弟子の高杉晋作にあてた手紙の中で)
  • 熊沢蕃山(1619-1691)「君子の治世は殺を用いず」「人を殺すに政をもってするは、刃より甚だし。刃は限りあり。不正の殺は限りなし」⇚ 死刑反対論者、団藤重光(1913-2012)「人間の終期は天が決めることで人が決めてはならない」

  武士道 ← 陽明学(=キリスト教)⇒ 加害者の心理 ⇒ ハラキリ(自殺)⇒ 死刑反対