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2015年1月10日に開催された第4回哲学カフェ

日時:2015年1月10日 13時〜15時

場所:サロンド冨山房Folio
記録担当:中村裕子

テーマ:「善と悪は存在するのか?」
ゲスト講師:東洋大学 竹村牧男 学長

 

#竹村学長のお話

 今回のカフェのゲスト講師は東洋大学の竹村学長ということで、愛知県や群馬県など遠方からの参加者も多く見られた。

 竹村学長の専門は仏教哲学なので、「仏教では正義や悪は出てきません」と前置きした上で、あえて「悪」というものがあるとすれば「親鸞の念仏の真髄ともいえる悪人正機説である」と定義した。この「悪人正機説」とは、「悪をするほど助かる」や「善をする必要はない」という訳ではなく、(教義に反して不本意にも)生業として殺生をしなくてはならない人≒苦悩を抱える人こそ救われるべきである。という浄土真宗の教えである。さらに竹村学長曰く、「宗教者なり聖職者は必ずしも清らかではない」とのこと。また、「御布施とは無畏を施すということ」と説明。つまり「人々の不安を取り除く」ことであり、これは非常に難しいとのこと。

 次に、「善」と「悪」についてのお話があった。

・善(クシャラ)=来世に響く。2世に渡って他自を順益するもの
・不善(アクシャラ)=2世に渡って他自を違損するもの

という行為の法則が働くとのこと。「来世は何に生まれるのか?」という問いも、これに含まれるとのこと。また、「他人に殆ど影響がなく、自分のみで完結しそうな事であれば悪を働くこともあり得るが、これは構わないのか?」という課題に対し、「自己のみならず他者をも損ねるのは悪である」と定義。その理由として、「自分は自分のみが作りだした訳ではない」と説明。「自己」と「他者」については、次のように定義した。

・自己=自己を超えた存在に於いて成り立つ
・他者=他者を超えた存在に於いて成り立つ

 このことから、「他者を無碍に傷つけることは忍びないと感じるのが倫理ではないか」と結論。例えば、環境を保全していくことの大切さを気付いている日本人は多いけれども、実際に行動している人が少ない。これについて、「世代間倫理、すなわち次の世代に対する倫理についても考えなければならない」と述べた。例を挙げるとすれば、たとえば福島原発の問題。自分たちの世代のみの影響を考えるだけでは不十分。次の世代に何を残すのかというところも考える必要があるという。

「しかし、次の世代のためになにかをしたとしても、私たちはその見返りを受けることはない。ではなぜ、そんなことをするのだろうか。そこに『共感共苦』がある」。

 共感共苦、つまり共に喜び、共に苦しむということ。竹村先生曰く、「苦しませることが忍びない、とても耐えられないという気持ち」が、共感共苦。この気持ちがあるから、見返りがなくとも世代間倫理がある。そこにあるのは理屈や理論ではなく、直感。心の奥底で感じるものだと。

 最近の痛ましい事件も、この「共感共苦」の欠如から起きているという。例えば、ナイジェリア(西アフリカ)で起こった少女による自爆テロのように。ある意味「怖れを知らない」少女にそういう教育を施す事で、この少女自体も犠牲になってしまった。この少女をそう仕向けた人に、共感共苦はあったのだろうか?というような話。

 「私たちは前世代からの恩恵を享受し、今を生きている。だから、私たちも未来世代」も次世代に対して何かしなくてはと痛感している」

#コメンテーター 国際円了学会 西田哲学専攻 竹内さんのコメント

 「悪人正機」今までは違和感を感じていた。なぜなら人間は悪から離れられない気がするからである。宮崎奕保(曹洞宗)はかつて「欲を克服しないといけない」「悪を克服しないといけない」と話していた。

 また、竹村先生のお師匠様でもある鈴木大拙先生(禅を海外に布教)と犬養道子(敬虔なクリスチャン)の「婦人の時間」での対談によると「宗教って何でしょうか?」という犬養さん質問に対して「現代人は無限への憧憬が薄れてきている」その関心を持つのが「宗教」である。「有限を正しく感じる」ことが「無限へのあこがれ」にも繋がるのでは。

 それと、他者を無碍に傷つけたくないという竹村先生のお話にもあったが、他者への尊重=自己を知る為の鏡。他山の石・「他を裁かない」≒謙虚さの顕れではなかろうか。アリストテレスの言葉であるが「自分だけではいきていけない人間とは社会的動物である」。そこには理性のみならず感性も必要そうである。理性+感性=5性であり、直観と共感を繋げていかないといけない。

 原理主義≒テロに繋がったりする。IDEOLOGYとしては成り立つだろうけれども独善的=善なのだろうか?皆さんが見て「善」なら良いのだが。

#竹村先生と円了学会竹内先生のミニ対談

Q;法然の自分が「完全にダメ」という認識からスタートしているんですか。
A;完全なる直視・完全なる顧みが大切ということでしょうね。

Q;原理主義にも繋がるテロとは独善的ではないでしょうか?
A;他者とかかわりあって初めて自己が成立している。他者とよりそうにあたり
無碍に傷つけるのは忍びないと思います。