2018年11月18日 に開催された哲学カフェ

日時:2018年11月18日(日)
場所:サロンド冨山房FOLIO
テーマ:「日常の中に潜むちょっとした違和感について考える」

当日の流れ
前半:スタッフからテーマのサンプルとして、以下のテーマでショートプレゼン。
・エレベーターの右側を開けるのはなぜ?
・履歴書は手書きでなければいけないのはなぜ(パソコン作成ではいけないの)?
・賞味期限と消費期限の不思議 等

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後半:
・前半のテーマを参考にし、参加者の感じている違和感を発表してもらう
・テーブルごとでテーマを設定し、ディスカッション

 

話し合いの内容(一部)
 「なぜ、電車や病院等でちょっとしたトラブルや呼びかけがあったときに、私たちは謝ったり返事をしたりしないのか(できないのか)」といった疑問について、ディスカッションをしました。
 例えば、電車でお互いの体がぶつかってしまったとき、一言「すみません」等という言葉があれば、お互い、気持ちが良いはず。なのになぜ何も言えずに黙ってその場を去ってしまうのか、日本人は冷たくなってしまったのか?という疑問です。病院でも同様に、受付で「○○さーん」と呼ばれた際、無言でいる人が多いそうです。このような疑問に対し、以下のような意見が出ました。


・ある出来事に対して、それに対し私たちが取る行動パターンは実に様々。その中には必ず「ベスト」な方法と、皆が良くとる一般的に知られた「コモン」な行動の2パターンがあり、この2つがいつも一致するとは限りません。例えば、電車で互いがぶつかったときという出来事に対し、互いに一言「すみません」と謝ることが「ベスト」で、そのまま立ち去ることが「コモン」であるというように。一言、謝罪の言葉があれば、互いに気分が良く、あとにもやもやした気分が残らない。しかしそれができないのは、忙しくて(気持ちに)余裕がない等の要因があるから?


・ベストな方法・行動を選択しても、そこについてこられない人もいます。例えば、地域のお知らせを紙でなくPCやメールで配信すれば、コストも手間もかかりません。しかし年配の方は、メールを受け取る手段がないため、この方法に対応できません。この場合、対応できる人が、配信された内容を彼らに個別に知らせる等、フォローをする必要があります。ベストな方法をとるのもよいが、その方法が全員にとってベストとは限らないので、その方法になじまない方々へのフォローも重要です。


・自分も電車で体がぶつかってしまったことがあります。その時は言葉をかけるのでなく、すみませんという気持ちを込めてお辞儀をする仕草をしましたが、気づいてもらえませんでした。今思えば、きちんと言葉にすればよかったのかも。


・「謝るのがベストな方法とされている」というが、外国では謝る行為は責任論と結び付けられ、自分が悪いことを認める行為ととられることがある。その点から、謝ることに抵抗がある人もいるのでは。


・ある出来事があったとき、どのような行動をとるかは各人の価値観によるところも多い。価値観が共有され、認め合うこともまた大切なのではないか。


ほかのグループでも、多彩なテーマで話し合いが行われました。例えば、職場における女性の役割(お茶くみ等)や、ブラック企業等における経営者の在り方等、様々な事例を通し「違和感」について話し合ったグループは、改めて身近な場所を含めた様々な場面で、多様な違和感が潜んでいることに気づいたようでした。


今回は、参加者自身が不思議・疑問に感じていることをみんなで話し合うという回でした。普段の会話では、このような話題は避けられがちで、タブー視さえされることもあります。しかし、このような話題について意見を交わしあうこともまた、自身の考えを深め・広げる機会となるのではないでしょうか。このような身近なこと・ちょっとした疑問をディスカッションすることもまた、哲学の1つの姿ではないかと思います。専門的な知識を持ち合わせておらず、高尚な意見を言うことができなくても哲学は実践できると改めて思いました。