2017年9月24日に開催された哲学カフェ

時間:13:00〜15:30

会場:冨山房FOLIO

テーマ:マシュマロテスト 正しい選択とは

ゲストスピーカー:哲学塾1期生 五十嵐美加氏

 

【前半】ゲストスピーカー五十嵐さんのトーク

  • 禁煙するつもりが、なぜかタバコをくわえている…
  • ダイエットする気満々だったのに、私なんでケーキを食べてるの?
  • 結婚してる身だけど、彼(彼女)の魅力には抗えない…
  • 夜中のラーメンって、なんでこんなに美味しいの?

これらの例を紹介し、「私たちはなぜ、自分で決めたことができないのでしょう」と問いかけた後、心理学者ウォルター・ミシェルの実験「マシュマロ・テスト」を紹介。

  • 子供の前にマシュマロを1つ置く。
  • 実験者は「このマシュマロは君のものだよ。もし私が戻ってくるまで待てたら、もう1つあげる。待てなかったら、ベルを鳴らして。そのときは、追加のマシュマロはなしだ」。
  • 子供とマシュマロを残し、実験者は部屋を出ていき、15分我慢できるかどうか試す。

 実験結果を見ると、7割の子供は最後まで我慢できず、途中で1つのマシュマロを選択。全体の約3割の子供が、最後まで待って2つのマシュマロを選択できた。

 最後まで待てた子供の様子を観察すると、マシュマロから気をそらしたり、目に入らないようにしたり、目の前のマシュマロはマシュマロではないと考えていたようだ。

 この実験結果からウォルターが引き出した結論は、人間の脳には本能的・欲求的に物事を選択する「ホットシステム」と、目的達成のために手段を考えて妨げを抑圧する「クールシステム」が備わっているということだった。

 ウォルターは、「真の選択をするためには、本能的な側面のホットシステムを調整することが大切」と考えていた。

 一方、シーナ・アイエンガーは、「幸せに関することは、ホットシステムを無視して選ぶべきではない」と考えた。例えば、恋人のどこが好きかをきちんと説明できるカップルと、相手のことを「なんとなくいいな」と思っているカップルを追跡調査。すると、後者のほうが相手への満足度が高いということがわかったという。

 私たちの生活の中でも、ダイエット中なのにケーキを食べている、テスト前に漫画を読んでしまうといったことがよくあり、あとで後悔してしまう結果になりがちだ。しかし、それを後悔するのではなく、ケーキや漫画を選択したときに得られる満足をもって納得すればいいのではないか。

 

【後半】テーブルディスカッション

問1 ホットシステムとクールシステムのどちらが良いか

問2 正しい選択とは何か

 

・テーブルA

 選択するときに大切なのは、ホットシステム・クールシステムどちらがよいかということではなく、自分への内面への問いを繰り返して、自分が何を求めているかをはっきりさせたうえで、それにあっているかということではないか。つまり、自分の中にある判断基準こそ重要だ。

 正しい選択とは、自分が納得できる選択であるということ。例えば、夜中にラーメンが無性に食べたくなることがある。一般的に見れば、夜中にラーメンを食べるという行為は健康的に好ましくないので、正しくない選択肢と捉えられることが多い。しかし、「夜中」に「ラーメン」を食べるという行為が一般的に正しくないとしても、本人の中に納得感があればそれは正しい選択といえる。例えば、その日に夜遅くまで飲まず食わずで仕事を頑張り、その結果、1日の終わりに大好きなラーメンを食べて、明日からまた頑張ろうという気持ちになれるのであれば、その人にとって夜中のラーメンは正しい選択といえる。

 しかし選択する瞬間、納得感を持てることは少ない。疑いや不安を感じている状況だと、自分のしている選択が「正しい」かどうか判断できない。その結果、「あの時の選択は間違っていた」と後悔することも多いだろう。しかし、その経験も全く無駄ということはない。納得感を持つ選択をするためには、失敗も含めて経験値を積むことが大切だからだ。

 ここでいう経験値とは選択の失敗と成功の経験を指す。例えば、私たちの周りにはラーメン屋がたくさんあるが、自分の納得する店を選ぶことはなかなか難しい。その中で、自分にとって正しいラーメン屋を選ぶために、多くのラーメン屋に入り、多くのメニューを食べてみて経験を重ねることが大切だ。「このラーメンはあまりおいしくない」「この店は値段が手ごろで入りやすい」「飽きない味で何回でも来たくなる」「店主が横柄だ」そのたびに、感じることや学ぶことが必ずある。失敗と成功の経験を重ねて、次に生かしていくことでより精度の高い選択ができるのだ。

・テーブルA参加者の所感

 選択というテーマは、現代社会で重要テーマの1つであると思う。私の属したテーブルの中の話でも出たが、近代の「画一的」であることが正しいといった風潮が、最近はだんだん崩れ始めていて、個人がどうあるべきかということを考えることが大切になってきた。そのため、1人1人が行う選択、選択を行えるということは現代的にとても重要である。

 私は、いわゆる「ゆとり世代」と言われる世代。学校教育の中で、「みなと同じことが大切」「しかし、個性を発揮せよ、自分の意見を持て」と、矛盾することを言われてきた。そのせいか、正しい選択とは「周りに迷惑をかけないようにしつつ、自分の意見等をもつこと」であると思っている。しかし、これから国際化や情報化が進む中で、個性がより強調されるようになり、「周りにとらわれずに自分の価値観に従ってする選択が真に正しい」となってくるかもしれない。つまり、その時代や環境、世代などによって「何が正しい選択か」ということは変わってくるということだ。だから、「正しい選択とは○○○○ということだ」という絶対的な答えはないのではないのではないか。時代や環境によって変わってくるが、その変化の中で正しい選択を模索したり、その基準となる自分の価値観を見つけるために「経験すること」「ホットシステム・クールシステムを意識すること」は有用かつ重要なのではないかと思った。

 

・テーブルB

問1 ホットシステムとクールシステムどちらがいいと思いますか?

 日常生活においては、どちらかと言えばホットシステムで動くことが多いが、選択後にクールシステムで、その理由付けなり辻褄合わせを行っているのではないかという意見あり。いずれにしても、ホットシステムもクールシステムもどちらも人間の生存に必要な機能として生まれたものであり、車の両輪のごとく問題に応じてそれぞれの機能が立ち上がるのではないか? どちらか一方を選択するのは困難。この問いについては短時間で議論終了。

問2 正しい選択とは何なのでしょうか?

 自分が満足できる選択、その時の最善の選択、後悔しない選択など、人それぞれ異なる意見がある中で、次の意見が注意を引いた。

「社会規範や法律など、基準に照らし客観的に正しいかどうかということを別にすれば、正しいかどうかの判断は主観の問題であり、人それぞれ。とするならば、正しいかどうかを問うことは意味がない」。

 また、正しい選択という問題は「幸せとは何か」という問題に収斂されていくのではないかという意見もあった。

 私的には「正しい選択」とは「正しい選択」をするための前提条件が重要であり、問題を正面から見ているか? 世間体・回りの空気に左右されている自分がいないかをチェックすることができて、初めて「正しい選択」をなし得るのではないかと考える。しかし、それでもなお、限られた経験や知識によるバイアスがかかっているとも思われるので、「正しい選択」とは何かについての結論には至ってはいない。

 

・テーブルC

 5人中3人が80代ということもあり、終活カフェのようになりましたが、基本的には東洋VS西洋という話になりました(仏籍をもつ方や自宅がお寺の方がいらっしゃいました)。

 仏教では「欲を抑える」というようなイメージがあるが、大乗仏教は「自分の欲に従ってどんな選択をしようとも、それは小さなことで、自分が救われる救われないは、仏の心にかかっている。どんな欲を持ってもそれを自分でモニターできていたら、それでいいのだ」というようなお話がありました。

 ともすれば、選択というのは文化や価値観のようなものに左右され、どこまでも「ひとそれぞれ」という相対主義になりがちですが、そもそも「自分が生かされている」と考えるのであれば、選択すること自体それほど大きな問題ではないというのは斬新な考えだったかと思います。