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2015年9月13日に開催された第7回哲学カフェ

日時:平成27年9月13 日(日)13:00〜15:00
場所:東京都千代田区神保町「サロンド富士房folio」
記録:哲学カフェ事務局
今回のカフェは、テーマを複数個用意し、参加者が自らテーマを選び、ディスカッションを実施した。5つのテーマを用意し、カフェの時間全体を前半と後半に分け、参加者が自らの関心のあるテーマを最大2 つまで選択してもらうことで参加者が中心となりディスカッションができるように工夫した。また、ゲストスピーカーの代わりに各テーマごとをスタッフ1名ずつが担当し、ディスカッションのきっかけを設けることを目的に10分程度の導入を行った。

テーマ:
1.結婚するメリットとは
2.人は死をどうやって受け入れるか
3.心と体の境界線とは
4.人はなぜ群れるのか
5.フリーテーマ(参加者で自由にテーマを決め、議論する)

テーマ1「結婚するメリットとは」

導入:「結婚は愛によって成り立つか、契約によって成り立つか」といった結婚の定義をすることから始めた。そして、結婚により発生する効果、担当者の考えを上げたうえで、結婚は何によって成り立ち、その際、何のメリットがあるかを問いかけた。

概要:20 代、40 代、70代の方と年代的にバランスのよいメンバーでディスカッションを行うことができた。

内容:
1.結婚とは何かからのアプローチ
結婚は愛のみでは成り立たず、契約の側面がある。そのうえで、結婚のメリットとは、結婚してすぐや結婚生活を送っている瞬間ではなく、後から振り返り、「大変だったけれど、充実していた。結婚してよかった。」などという形で、後から過去を振り返ることで感じるものである。

2.パートナーの選択によるメリット
結婚のメリットを考えるうえで、相手の選択が重要である。その際、「愛」によってのみ、結ばれているとあらゆることに対し、盲目的になってしまい、結婚しても生活がうまくいかず、継続しない。結婚とは何十年も継続するものなので、性格などの面で合うパートナーを選ぶことはもちろん、互いに相手を飽きさせないことが重要である。また、考え方や性格の合致を判断する際、相手の育ちがどのようなものかという要素も重要である。

3.自己や当事者以外の思い・目的以外のメリット
私たちは自分の思いや目的を中心に結婚を判断し、自分に得があるかどうかということで結婚のメリットを考えるが、家の存続などのために結婚をする場合もある。その場合、「家の体面を汚さないように」「結婚の際、お世話になった人の手前」何かあった際でもなかなか結婚を解消することができないなど、デメリットが多く感じるように思えるが、「家のために」等、自分以外の場所に結婚の目的を置くことで、それが当事者のモチベーションが上がることもある。そして、もっと大きな視点で見れば過去からつなげてきた世代や伝統を絶やすことなく、未来へつなぐことができるというメリットも存在する。

テーマ2「人はどうやって死を受け入れるのか」

導入:ディスカッションの前に、前もって用意しておいた質問項目に答えを書き込んでもらう時間を用意。しかし、少しでも早く話したいメンバーが、書き込むより先に話し始めた結果、手を止めてみんなが話し始めた。この流れなら、質問項目は用意しなくてもよかったのかもしれない。

概要:年齢層に幅のあるメンバーだったが、年齢差に影響されず、のびのびとディスカッションを楽しんでいた印象。テーマの捉え方はそれぞれ少しずつ違っていたが、話を進めていくうちに、別の立場でも同じ結論に至ることが判った。

内容:
1.死とはなにか
「生命活動の停止」「肉体の消失と、その人物に関する断片の消失」「コミュニケーションがとれなくなること」「二度と会えなくなること」と、様々な意見が出た。「二度と会えなくなること」という定義から「そういった意味では、仕事を辞めて会えなくなった友人も、死んだのと同じではないか」という意見もあった。

2.親しい人の死を受け入れられない状態とは、どんな状態なのか
メンバーから質問があり、井上が「パニックに陥り、生活が出来ていない状態」あるいは「その人がまだ生きていると信じている状態」と説明。「大切なパートナーが亡くなった後も、まだ生きていると思い続けている」状態については、「身体を失っても、誰かの記憶の中に残っていれば、それは状態が変化しただけで、死んだのではないと考えられる」という意見も出た。

3.なぜ「死んだら楽になれる」と思うのか
メンバーから「死のうと思ったことがあある」という話があり、それに対して「なぜそう思ったの?」という質問があった。「死ねば楽になる、今この場から消滅できると思ったから」と答えると、さらに「でも、まだ死んだことがないから、死んだ後どうなるのかわからない。それなのに、何故そっちのほうがマシだと思ったの?」という質問があった。そこから「アタラクシア」(エピクロスは「死んだときには感覚がないから、死後のことは心配しなくていい」といった)という話に発展。「エピクロスがこれを言った時、彼はまだ死んでいないはずなのに、どうして死後の感覚がわかったのか」という疑問が出た。

4.なぜ、死ぬことが受け入れられないのだろうか
「自分が死ぬとわかったとき、なぜそれが受け入れられないのだろうか」という疑問が提示され、半年前にガンを宣告されて死を意識したというメンバーから「シンプルに『痛いのは嫌だと思った』という答えがあった。別メンバーからは、「何かに執着しているから。その執着を手放せば、死を受け入れられるはず」という意見から、「死を受け入れるとは、諦めるということなのでは」となった。「自分だけでなく、家族も諦めてくれれば、さらに受け入れられやすくなる」という意見も出た。
メンバーの一人から、「車のレースをやっていたとき、常に危険と隣り合わせだったが、そのときは死は意識していなかった」という話が出た。それはなぜかというと、一瞬、一瞬に集中していたから。そこには、未来も過去もない。それが「一瞬が永遠になる」瞬間なのではという意見があった。
また「なにか心残りがあるから、死にたくないと思う。逆に、気が済めば死んでもいいと思えるのでは」という意見も出た。では、なにをもって「気が済んだ」と思うのだろうか。それを知るためには、「自分にとってなにが一番大切なことなのか」を知り、「気が済む」ラインを把握する必要がある。

テーマ3「心と体の境界線とは」

内容:
1.ストレスを抱える期間とその効果
一流のアスリートはどんなに体が疲れていても、精神面で一本化させることができる。そして人間に興味を持つことによって、相手をよく知ろうとする。ストレスも短期であれば、意識レベルを上げることになりプラスに作用するが、長期になると体の不調や精神面において問題が起きる。

2.実際の活動
老人ホームに入っている人たちに、生きる目的を見つけさせる活動が行われている。「死ぬまでに何かやり残したことは」と聞いた時に、目的を見つけるといきいきとしていく。同様に妊婦さんたちには、毎日の気分を毛糸で(気分がいい・ふつう・悪い)グラフ化し見えるようにすると、気分良く過ごすにはどうしたらいいかを考えるようになる。具体的に自分の心を見えるようにしていくと、プラスに変える効果がある。

3.結論
心と体は別々かどうかはわからないが、日本は物(体)と心を分けない考え方である。しかし、心と体を分けることは考えるときに必要である。

テーマ4「なぜ、人は群れるのか」

導入:「群れ」とは何かという問いから話を開始。「群れ」とは目的のない集団、一定のルールを持たない集団が「群れ」と呼ばれるのではないかという意見が出たものの、最終的には確固たる定義づけができないまま、以下、人の集団についての話に移行。

1.地域社会(隣・近所・町会など)の変貌
都内の下町と呼ばれる地域おいては、戸建てからマンションそして地域に根付くことのない人々の流入により、相互扶助の精神が失われつつあり、人々のつながりが希薄化している。地域の住む人々に変質が起こっているのではないかという点について話をした。

2.チームや組織をうまく機能させる方法
(具体例として、哲学塾のチーム、区役所の仕事)

3.個人の意思と集団の意思
一人で思っていることであっても、その思いがその個人の中にとどまっている限りにおいては、問題を生じない。しかしながら、その思いが他者と共有されるような状態となったときには、その共有された意思は個人の意思とは異なる意思に発展する可能性もあるのではないかという意見が出された。

テーマ5「フリーテーマ」

決定テーマ:哲学カフェとはどういうものなのか

概要:話あうに当たり情報量の問題があった。情報量が多いひとと少なめの人とのチューニングも大変そうであり、逆に情報量が多い人から少なめの人への話は一方的になりがちである。

1.なぜ、哲学カフェで話をしたいのか
今までの蓄積とかキャリアというより、カフェでは個々のトークを楽しむこともあるが、むしろ、今感じている何かを話たい人も多いのだろう。たとえば9.11 3.11 今回の茨城の鬼怒川の決壊など11日に災害が起こることが多いのがなぜ?など疑問に思う人もいるだろうが、本当は11日のみならず1 日も災害が多いとのこと。(関東大震災や都内の雑居ビルの大火災も1日であるという実例がある。)
印象に残りやすいものに対して、人間は理由を後付けしたり面白可笑しく考えたがったりするので、何かを関連付けるというのは本能的にありそうであり、その理由付け・理由探しを哲学カフェで行っている。理由づけの効用としては、とりあえず結論を持ってきてその事象に対しての考えをいったん停止させたいのだろうか。
例)なぜ私はここにいるのだろう?など。
しかし、何かの出来事になぜそうなるのかなど、私たちは理由をつけたがるが、その出来事自体が偶然が折り重なってここにいるだけの場合もある。

2.哲学カフェの効果
面白いについては、さまざまな定義がありそうだが敢えていうのなら、その時に一番興味があるもの・話が途切れたり淀むことがほとんどない。また、ある興味を持つ事象の問いに対して意外性のある反応があったときなどは面白いといえよう。なおかつ、自分の中にある種の閃き、自分の今後に生かせそうな何か発見があるとより面白そうである。

3.哲学カフェの意義
カフェの参加者全体が楽しむ必要性があり、参加者のうちどれくらいが、次回のカフェに参加したいと感じてくれているのだろうかを考えた。そして、どういう方々が哲学カフェに興味をもっているだろうか。この問いに関しては、哲学カフェという時流にのって東洋大哲学塾がカフェを開いているけれども少しマーケティング調査をしてみてはいかがだろうかという意見が出た。そもそも、「哲学」カフェと言っているけれどもこの際思い切って「哲学」という冠を外してみるという選択肢もあるのではないか。  

総括:
今回、東洋大学哲学カフェ始まって以来、ゲストスピーカーを配置せず、参加者の議論を中心に構成するスタイルでの哲学カフェを実施した。そして、テーマを複数個用意することで各参加者の興味のあるテーマを選択できるように工夫した。その結果、どのテーマでも参加者が活発に発言を行い、議論の深まりが見られた。議論の材料は、各参加者の考えや経験が中心となり、ゲストスピーカーのお話される学問的・専門的な要素が入った話し合いとはまた違った側面があったように感じる。
そして、1番の収穫は、議論の時間を十分に確保し、参加者の議論を中心に内容を構成したことで、十分な議論を行うことができ、各参加者の関心が満たされたことではないかと考える。その点で、参加者からも良い評価をいただくことができている。
しかし、テーマシャッフルのやり方、テーマの設定、ファシリテーターの進行などの改善すべき点もいくつか見受けられた。
これらの問題を解決しつつ、また計画し、実行する価値はあるのではないだろうか。