2016年11月13日に開催された哲学カフェ

日時:2016年11月13日(日)13時〜15時30分
場所:サロンド冨山房folio
記録:哲学カフェ事務局 小池清晴
テーマ:コミュニケーション能力とは何か? Part 3
    ジェンダーの壁を越えて
ゲストスピーカー:井上円了哲学塾 一期生 松野和寛
          − 同上 − 二期生 寺川雄太
進行形式: 前半 ゲストスピーカーお二人のお話し
      後半 テーブルごとに議論

概要および感想

【前半】
 最初に、寺川さんから今の社会における男女はどのように位置づけられているかを、トイレの表示の仕方、婚姻届け書式(男が先で女が後、父母の記載欄では母の氏は書かない)、などの例を引きながら、男尊女卑的な傾向があるのではないかと指摘。私たちが当然と考えている男性・女性像ゆえに、そこから外れ、つらい思いをする人々がいる。私たちが抱いている男性・女性像を護っていく価値があるのか、あるいは変える必要性がないのかを、もう一度考えてみてもよいではないかとの提言がありました。

 次に、松野さんも人の名前(韓国の場合)のつけ方、職業における男女の呼称の相違、例えば、社長が女性の場合は「女社長」と呼ぶのは、本来、社長は男性であるという社会認識があるからではないか? などの実例を挙げながら、私たちが抱いている男性像・女性像を描き出してくれた。次に、ジェンダーとは何かについて説明があり、ジェンダー規範の壁(男はこうあるべき、女はこうあるべきという社会の要請)を取り払うことによって、コミュニケーションがより円滑になるのではないかとの提言がありました。

 

【後半】
 後半はテーブルディスカッション、今回から、できるだけ1人の発言の機会、時間が増えるように、各テーブルの人数を4人〜6人に絞りました。

 私が入ったテーブルは6人で、社会人(男性)4人、社会人(女性)1人、学生(男性)1人でした。ジェンダーの壁がコミュニケーションを阻害するという議論には至りませんでした。というよりも、普段、日常生活において我々はジェンダーというものを意識することなく、他者とのコミュニケーションをとるのであって、その無意識ゆえに少数の人々を傷つけてしまうことがあるのかもしれません。しかしながら、それは必ずしもジェンダーの問題に限らず、男同士であっても、女同士であっても、他者に対する配慮が欠ければ、相手とのコミュニケーションがうまくいかないということは多々あります。従って、ジェンダーだけを取り出して、コミュニケーションの問題を議論することに少々無理があったのかもしれません。この点については、哲学カフェ事務局のスタッフの一人として、反省すべき点があると思いました。

 我々のテーブルでは、コミュニケーション以前の問題として、我々が持っている男性像・女性像(男は外、女は内)、男尊女卑的社会構造について話をし、このような我々の認識も世代により変化しつつあること、すなわち昭和世代は男尊女卑的傾向が強く、平成世代はこのような価値観から脱却しつつあることを再認識した。なお、平成世代の方は脱却を意識しているのではなく、自然にそのような価値観をお持ちのようでした。

 これは私個人の意見ですが、経済が停滞し、今までの社会構造が揺らいでいる現在、若い方々は今までのやり方では、うまくいかないということを我々以上に感じているのではないかと思いました。

 ただ、男尊女卑的であろうが、当事者である男女が互いにそれを受け入れて、うまくやっているのであれば、当たり前のことですが、それでよいのではないかとも思います。

 

 

2016年11月13日 哲学カフェ開催します!

次回のカフェの詳細が決まりましたので、お知らせします。

今回のカフェでは、前回に引き続き、「コミュニケーション能力とは何か」について考えていきます。

1.日時
平成28年11月13日(日曜日) 13時〜15時半(※終了時間が30分遅くなりました)

2.場所
千代田区神田神保町1-3 冨山房ビルB1
「サロンド冨山房Folio」 電話 03-3291-5153

3.参加費用
大人1,000円 /学生500円(ドリンク付き)

4.内容およびテーマ
『コミュニケーション能力とは何か? Part3 ジェンダーの壁を超えて』

5.ゲストスピーカー 

井上円了哲学塾 第1期生 松野和寛氏/第2期生 寺川雄太氏

6.事前予約
電話/03-3291-5153 電子メール/folio@fuzambo-intl.com

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2016年9月25日に開催された哲学カフェ

日時:平成28年9月25日(日曜日) 13時〜15時半

場所:サロンド冨山房Folio

記録:哲学カフェ事務局

テーマ:「コミュニケーション能力とは何か? Part2」

ゲストスピーカー:寺門典宏氏(曹洞宗僧侶・福祉施設勤務)/新妻弘悦氏(東洋大学哲学塾第3期生・理学療法士)

形式:ゲストスピーカーのお話を聞いたのち、参加者の方とテーマについて意見交換を行う。

 

内容:

  1. ゲストスピーカーのお話

 (1)「コミュニケーションに言葉は本当に必要か?」(寺門典宏氏)

 言葉には、いろいろな意味があります。コミュニケーションは、言葉のみによって成り立つものなのでしょうか。

 仏教の修行では、自分に向かい合うことがほとんど。仏教の修行の1つである「五観の偈」では、食事中、その命をいただくにふさわしい行いをしたか、食べ物からエネルギーを」いただいているということを意識し、言葉を発することを許されません。できるだけ言葉を使用せず、自分の内面等に向き合うことに重点を置いて修行をします。

 福祉施設で利用者の方と接するとき、彼らの気持ち等を理解するのに言葉は使えないので、それ以外の要素、例えばアクセントや声の調子などから読み取ります。この経験でわかったことは、コミュニケーションにおいて言葉に頼らず、自分の内面と向き合いながら、相手を理解していくことが重要だということでした。

 

(2)「相手との間にある溝を埋めるためにはどうすればよいか」(新妻弘悦氏)

 わたしは普段、医療機関で認知症の方のリハビリをサポートしています。認知症の方々は、それぞれ自分の世界を持っています。ですから、コミュニケーションをとる際、その世界を否定せずに話を聞くこと、またその世界にこちらから近づくことが重要です。

 例えば、「これから会議に行く」といってどこかに行こうとする方に対し、「会議なんかありません。すぐにあなたの場所に戻りなさい」と無理やり押し付けてしまうと、相手は怒ったり、不快に思ったりします。そうではなく、「お茶でも入れましたので飲んでいってください」と声掛けをしたりするなど、相手の世界に合わせ接し方を変えることで、うまく収めることができるようになります。その際、こちらが「演技」を楽しむことも重要です。

 「ケア」とは、相手に何かを与えるばかりでなく、相手からも何かをもらうという双方向で成り立つもの。だから、コミュニケーションは必要不可欠です。

 

  1. グループでのディスカッション

 テーブルごとに分かれ、グループでのディスカッションを行いました。以下は、あるグループディスカッションに参加した人の感想です。

 今回、私のいたテーブルでは「相手との距離を縮めるためにはどうすればよいか」を中心に話を進めました。私たちの回りには、自分の意見を押し付けてくる人、話を聞いてくれない人、なんとなく気の合わないと感じる人など様々です。

 では、そのような相手がそばにいるとき、私たちはどうするでしょうか。私などは、「合わないから」といってその人との関係を諦める、なるべく接しないようにするようにすることが多いですが、それで本当の良いのかと思うことがあります。相手を遠ざけるのでなく、相手との溝をうめるようなコミュニケーションがとることができれば、自分にとっても相手にとっても良い関係を築くことができるかもしれません。

 気の合わない人とは関係を諦めるという選択肢が大部分を占める私にとってその溝を埋めるためには?という問いについて話し合うことは有意義でしたし、参加者の方々の意見は印象的でした。その意見をいくつかリストアップします。

 

・「相手と話す」だけがよい関係ではない。親子関係のように、長い間一緒にいることでできる基本的な信頼関係があれば、良い関係が出来ていると言えるのではないか。そして、その基本的な信頼関係さえあれば、コミュニケーションをとることができるのではないか。

 ・相手と意見が合わないときも、ある程度冷却期間を置くことで、相手の考えていることを冷静に見つめることができるようになる。時に、時間は重要である。

 ・相手の背景や考えを理解することが大切。

 ・「なんとなく合わない」の1つの理由として、言葉以外の雰囲気などがある。時と場合により異なるが、相手がハキハキシテいるか、見た目は爽やかか、調子のよいセールスマンのようでないかなど、見た目・雰囲気・声の調子などから受ける印象も大きい。そういう部分に気を配るとよいのでは。

 ・コミュニケーションをとるのは、人のために何ができるかを考えて人の役に立つため。それが、自分にとっても相手にとっても喜びになる。

 

 このように、当たり前とされていることでもいろいろな方の考えを聞き、意見を交わしあうことでその重要性に気づくことができた、そんな話し合いでした。

 特に、「コミュニケーションをとるのは人のために何ができるかを考えて人の役に立つため」という考えに関しては、改めてその大切さに気付くことができました。つい、コミュニケーションというと、自分の意見をいかに伝えるか、意見を聞いてもらえるかといった「自分中心」に考えてしまいがちですが、同時に相手の考えを聞き、自分の求めているものを探すこともそれ以上に重要です。

 今では、LINEやSNSなど文字だけのコミュニケーションでは、相手の気持ちを読み取ることが難しくなってきたと感じます。言葉1つにしても、ネット上でしたコメントが自分の考えていたのと違う意図で相手にとられ、相手を傷つけてしまったこともあるので、それを思い出し、よりよいコミュニケーションとは相手ありきのもので、自分のためでなく相手のために使うものだということが理解できます。

 今回、ディスカッションの中で、参加している人たちの実際のコミュニケーションの例などを基に、堅苦しくなく思っていることなどを言い合うことができました。参加している人は、学生からご年配の方、男性や女性、お仕事をしている人など、過ごしている環境は様々でした。普段あまり話さないようなメンバーでしたが、お互いのことを尊重することで、皆さん気持ちよくお話することができたと思います。

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 このように、当カフェでは様々な方が気軽にテーマについて話し合うことができます。また、当カフェでは様々な方が集まって気持ちよく意見を交換するために簡単なルールを設定し、それにそって話し合いを進めることで、だれでも気兼ねなく意見を述べ、人の意見を聞くことができます。

 私たちの身近なものをテーマとし、考えやすいテーマを設定しているので哲学についてあまりわからないといった方にもおすすめです。以下、1つでも当てはまる方は、ぜひ当カフェにおいでください!

 

・普段、誰かと話す機会があまりなく、少し外に出てお茶でも飲みながら話をしてみたい

・普段人と話し合うことのないテーマについて、話したり考えたりしてみたい

・様々な方と話したい

・おいしいお茶やコーヒーを飲みたい ...など

 

 次回は、11月13日を予定しています。皆様のご参加をお待ちしています!

 

2016年9月25日 哲学カフェ開催します!

次回のカフェの詳細が決まりましたので、お知らせします。

今回のカフェでは、前回に引き続き、「コミュニケーション能力とは何か」について考えていきます。

1.日時
平成28年9月25日(日曜日) 13時〜15時半(※終了時間が30分遅くなりました)

2.場所
千代田区神田神保町1-3 冨山房ビルB1
「サロンド冨山房Folio」 電話 03-3291-5153

3.参加費用
大人1,000円 /学生500円(ドリンク付き)

4.内容およびテーマ
『コミュニケーション能力とは何か? Part2』

5.ゲストスピーカー 

曹洞宗僧侶 寺門典宏氏
理学療法士(哲学塾三期生) 新妻弘悦氏

6.事前予約
電話/03-3291-5153 電子メール/folio@fuzambo-intl.com

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2016年6月12日に開催された哲学カフェ

日時:平成28年6月12日(日曜日) 13時〜15時半
場所:サロンド冨山房Folio
記録:哲学カフェ事務局
テーマ:「コミュニケーション能力とは」
ゲストスピーカー:高橋 明彦氏/新妻 弘悦氏(順不同)
 両者とも東洋大学哲学塾の卒塾生で、2015年秋に行われた「井上円了の志したものとは何か」というテーマの作文募集で入賞された方です。
形式:ゲストスピーカーのお話を聞いたのち、参加者の方とテーマに対して意見交換をする。

内容:
 平成28年6月12日に東京都神保町cafe folioにて井上円了哲学カフェが開催されました。
 哲学カフェは、普段、あまりテーマにすることのない話題を、ゲストスピーカーのお話を聞いたり、集まった様々な参加者と話し合ったりすることで、自分の考えを深めたりする場です。

◆当日の意見交換の内容(3つの観点から)
(1)コミュニケーション能力とは何か?
 ゲストスピーカーの新妻さんは、必要とされるコミュニケーション能力とは単なる「会話」ではなく、「対話(懇話)」であるとおっしゃっていました。対話(懇話)とは、具体的な答えがない現代の中では、自分と違う意見を持った相手と価値観をすり合わせるようなコミュニケーションです。参加者内での話し合いでも、基本的にこの意見に賛成し、話し合いが進められました。
 また、例えば、生活の中で、
・私たちは満員電車で「自分の体に寄りかかってゲームをするのをやめてほしい」と心の中思う
・朝食の場で相手にジャムを取ってもらうために「ジャム」と単語で伝えたりする
といったような場面があります。
 しかし、相手にとっては思っているだけ、単語だけではわからないこともあります。このようなコミュニケーションで求められる察する能力というのもコミュニケーションの1つだと思います。

(2) 今の若い人はコミュニケーション能力がないのか?
 若い人たちのコミュニケーション能力が下がっているのではなく、あり方が変わっているではないでしょうか。現代では、昔より「個人」が大切とされる時代です。つまり、自分の人生を充実させられるか、どうやったら自分を守れるかを考える時代になっています。そのため、このように自分個人に重点をおく環境の中で主に生きている若い世代の人の会話などは、年代が上の人たちから見ると「コミュニケーション能力がない」と見えてしまうのかもしれません。

(3) では、どうやったらコミュニケーション能力を上げられるか?
 大切なことは
1. 相手に思いやりを持って接すること
2. 自分と相手は違うことを理解し、それを埋めるために努力することです。
 (2)の中で書いたように今は自分の充実が大事だという時代です。しかし、自分と相手は育った環境、考え、心の中、あらゆる面で違う存在です。自分に重点が置かれる世の中だからこそ、相手がどのようにしてほしいのだろうか、どうしたら喜んでくれるのかなど、「相手のこと」を考えることで相手と気持ちよくコミュニケーションがとれるようになるのではないでしょうか。

 以上のような感じで今回のカフェは話し合われました。

 私自身、2年前に就職活動を体験し、「コミュニケーション能力」について考えました。今の時代、多くの企業で新人にコミュニケーション能力を求めます。ですが、自分の中でそれはわかっていませんでした。各企業の担当者に質問しても考え方はバラバラでした。

 今回のカフェの中では、もちろん、コミュニケーション能力に対し、参加者ごとに思っていること、考え方はバラバラです。その中で、参加者たちとそれを言葉にして話していき、「コミュニケーションには、思いやりが必要不可欠である」ということに共感し、1つの考えとして自分の中に持つことができました。
 
 このように、哲学カフェでは、ゲストスピーカーのお話や参加者との意見交換を通して、自分の考えを作り、深めたり、さまざまな観点から物事を見ることで気づきを得たりすることができます。

・いろいろな人と話したい
・普段、人と話せないことを真剣に話し合ってみたい
・ゲストスピーカーのお話を聞きたい
といった人には特にお勧めです。

次回のカフェは、9月25日に開催する予定です。詳細は、日付が近づきましたらお知らせ予定です。ご興味のある方は、是非、参加してみてください。

2016年6月12日 哲学カフェ開催します!

次回のカフェの詳細が決まりましたので、お知らせします。

次回のゲストスピーカーは、井上円了哲学塾三期生の高橋明彦さんと、新妻弘悦さん。お二人は、「井上円了が志したものとは」というテーマで作文を書きました。その作文を書いた動機や意図についてお話を伺います。

自らの価値観と異なる価値観に遭遇したとき、対話を通して多様な価値観を学習・理解し、そこから自己の哲学(人生感・世界観)を養成することができます。それは、明治という国の在り方を模索する大切な時期を生きた井上円了が考えていた哲学とも一致するのではないでしょうか。

今回のカフェでは、対話とコミュニケーション能力について考えていきます。

1.日時
平成28年6月12日(日曜日) 13時~15時半(※終了時間が30分遅くなりました)

2.場所
千代田区神田神保町1-3 冨山房ビルB1
「サロンド冨山房Folio」 電話 03-3291-5153

3.参加費用
大人1,000円 /学生500円(ドリンク付き)

4.内容およびテーマ
『コミュニケーション能力とは』

5.ゲストスピーカー 

井上円了哲学塾三期生 高橋明彦氏/新妻弘悦氏

6.事前予約
電話/03-3291-5153  電子メール/folio@fuzambo-intl.com

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2016年3月13日に開催された第10回哲学カフェ

日時:平成28年3月13日(日曜日) 13時〜15時
場所:サロンド冨山房Folio
記録:哲学カフェ事務局
テーマ:『日本人の心』
ゲストスピーカー:東洋大学 吉田善一教授&アメリカ人禅僧 ミラー和空

事務局スタッフによるカフェ所感:
 3月13日の哲学カフェは、東洋大学教授の吉田善一教授と、アメリカ人禅僧のミラー和空先生をお招きして、お二人と参加者が対談する形式で行われました。今回のテーマは、「グローバル社会の中で誇れること、足りないことを考える」です。

 一般的に、日本人の誇れるものとして「真面目さ」「勤勉さ」「几帳面さ」などが、日本人に欠けているものとして「積極性」などが挙げられます。

 今回のカフェに参加することによって、私は、これらのイメージは正解ではあるけれど、完全に正解ではないと感じました。日本人が誇れるものは、確かに「真面目さ」「勤勉さ」「几帳面さ」と結びついてはいますが、それだけでは片付けられない深さがあると感じたからです。

 そもそも、「日本人らしさ」とは本当にあるのでしょうか。

 吉田教授は、日本人らしさの例として石田梅岩の「商人道」と、それを受け継いだ「近江商人の考え」を挙げられました。これは、「商売は自分のため、金もうけのためだけに行うものでなく、顧客のために行い、利益は社会のために還元するべき」とした考えです。

 「三方よし」(顧客、自社、社会すべてを満足させるために仕事をする)というのは、このことを表現した言葉であるということ。これは、今の日本人の仕事観にもよく表れていると思います。仕事は自分のためだけでなく、顧客や社会のためにするべきであり、その実現のために人の道を学ぶという考えは、今も伝統的に私たちの中に深く根付いていて、それが日本人の特徴の1つになっていると感じます。

 次に、生産現場の例を挙げます。

 自動車は日本の主要産業の1つで、日本人らしさ、日本文化の1つとしてよく挙げられる事柄です。生産現場では、ミリ以下の緻密な仕事、品質重視で仕事が行われています。

 また、「すりあわせ」ができることも、日本人の特徴の1つ。自動車はいくつもの部品を組み合わせて作りますが、各部品は、それぞれ担当者が違います。バラバラに部品を作っていても、部品を組み立てると、きちんと自動車になるということ。つまり、実際に組み立てを行う前でも、自分の作る部品が全体の中で、ほかの部品と組み合わさった際にどうあるべきかということを想像する力があるということになります。

 ところで、このような文化や日本人らしさは、どこから生まれてくるのでしょうか。

 例えば、上のような生産現場に外国人技術者を入れ、長い間その中で仕事をすれば、その外国人技術者は日本人と同じような仕事をするようになるとのこと。反対に、日本人が外国の縛りの緩い会社で仕事をすれば、縛りの緩い仕事ぶりになっていくとのことでした。

 そこで、「日本人という区分は意味を持つのか」という問いに立ち返ります。

ミラー和空氏が参加者に向けて「日本人であることを誇りに思うか」という問いを投げかけると、それに対して「誇りに思う」と答える方はたくさんいました。その理由は、豊かな土地であること、食べ物、文化など、様々でした。

 ところが、改めて「日本人らしさって何?」と聞かれても、なかなか答えられません。曖昧なイメージや答えはあるものの、突き詰めていくとカタチがなく、かつ存在するかどうかも曖昧になっていくようです。

 そこで私が感じたことは、「日本を誇りに思う理由は、今まで育ってきた過程の中で総合的によかった、幸せだったと感じていて、それを実感する舞台となったのが日本だったから」ということでした。

 アメリカで様々な国の方と過ごされた経験がある参加者は、「重要なのは、国の違いではなく、各個人の生い立ちの違い」と話していました。それが、文化的な違いなどと深く関係し、国ごとの分類や区別に結びついていくという見解です。

 日本人らしさは、確かにあります。具体的には、私たちが今まで過ごしてきた生活の中で学び、感じ、身に付けてきた「商人道」のような伝統であり、過ごしてきた環境であり、形成された性格でもあります。それが、現在時点では「真面目」「几帳面」「品質主義」といった形で具現化し、ある場面では「良い点」、ある点では「悪い点」といわれているのではないでしょうか。

 もしかしたら、この先、環境が変化し、日本人らしさの定義も変わるかもしれません。しかし、日本人らしさが環境、伝統等である、すなわち過去と現在の要素を織り合わせてできるものである以上、現在や未来が変化しても、過去から受け継がれたものがすべて消えるわけではありません。
 これからも同じような形で徐々に「日本人らしさ」は形を変えていくのではないでしょうか。